動く生活・かぱぴぷログ

人は時間がある限り、生から死へ動き続けてます。そのさ中に考えたことです。

時間は戻らない。空虚な「助監督、回顧録」5

f:id:tonpin:20210210171019j:plain


映像制作、動画編集をメインに、現在、NGOチャリティー活動中!
動く生活のかつみンです。


過去の自分の、その時、その作品に携わって学んだ考え方、
作法、ルール、生き方、思考を思いつくままランダムに振り返っていきます。

何か、気付き? が、あれば、嬉しいです!


f:id:tonpin:20210210170742j:plain

f:id:tonpin:20210210170747j:plain

「少女・村下孝蔵」(1985 4月撮影 music video)
監督:中原 俊
出演:立石 夕香


頼りにされなかった体験(No.5)


にっかつ撮影所にお世話になっていたとき、
声を掛けてもらって、
初めてMV(music video)の仕事をしました。

(MVは、まだ出始めたばかりで、アナログ制作のシンプルなモノでした)


中原俊監督の直下で、
「助監督できる!」という、
滅多にないチャンスの仕事でした。


で、


終わってみれば、
結果、大失敗!!
もったいないコトをした。


Why?


●まず、残念ながら、今更、言うのも何だが、僕は人見知りなんです。
言い訳するな!仕方がない → 頑張るしかない。


●ドラマをしたくて、この道を選んだのに、”音楽の映像なんて”と考えていました。

当時は、今の様にMV(及びPV=promotion video)のジャンルは薄く、
カラオケのバック絵(歌詞の後ろに流す映像)という位のお供え物だという風に、
僕は思っていました。

でも、この作品は立派なMVでした。
「後悔先に立たず」です。


中原俊という監督を知らなかった。
毎度の事だ、悪い姿勢 → 勉強不足。

後に、「櫻の園」「12人の優しい日本人」を手掛ける監督となる。


このような心情が作品作りの姿勢に出てしまったんだろう。

監督は僕を見抜き、自分で段取りも含めて、
すべて率先して進めて行くようになりました。

今でも記憶に残っています。


僕と云えば、ホント、雑用のみで、
演出上の云々はタッチしなかった、
というより、させてもらえなかったように思います。


ただ、弁当の準備、荷物の積み降ろし、
当たり障りのない報告・・・みたいなコトだけでした。


●「ドラマじゃなく、はじめてのジャンルの仕事だったら、それなりに勉強しろ!」
●「手を抜くな。考えろ!」
●「受けたなら、キチンと最後までやれ!」


云々、すべて、お見通しで、
自らも助監督経験者なので、
足手まといだと、僕を当てにしなかったように思われる。

でも、監督は、僕に対して常にニコニコと振舞っていました。

それが怖かった。


撮影全てが終わると、
僕は、編集、音付けには参加せず、
消えるように撮影所を離れて行きました。


ラッシュも完成作品も見た記憶はなく、
ただ、頭に残っているのは、
マザー牧場の菜の花と少女とクレーン撮影をした、
という断片だけです。


*ラッシュ=撮影状態確認のための、音声の入っていない未編集プリント。
またはその試写。


f:id:tonpin:20210210170758j:plain

少女(歌詞)


お話を頂いた、にっかつ撮影所さんにも御迷惑を掛けたと思います。


その後、にっかつ撮影所さんからのお誘いは無くなりました。


●後悔先に立たず


肝に銘じていますが、
今でも懲りずにやらかしちゃいます。

すみません。
共に生きて行こうと思います。


こん時の教訓

f:id:tonpin:20210210170810j:plain

1、知らなきゃ、勉強しろ!
2、手を抜くな、考えろ!
3、受けたなら、最後までやれ!
4、後悔先に立たず


今回の「助監督、回顧録」いかがでしたか。

また、よろしくお願いします。


*参考サイト
「櫻の園」つみきみほ 中島ひろ子:出演
「12人の優しい日本人」塩見三省 相島一之:出演
「ボクの女に手を出すな」 小泉今日子 石橋凌:出演


*                 *


トライして自分を見つけろ!
役立つサイト、貼っときます!


フリーランスとしてWebデザイン/動画スキルをアップさせたい方デジタルハリウッドSTUDIO by LIG

ポジウィルキャリア*マンツーマンで転職活動を支援するコンサルティングサービス

UZUZ*未経験OK、20代の理系に特化した就職、転職サービス!!

生活や仕事上でのあらゆるお困りごとを解決できる【ココナラ】「無料会員登録はこちら」