夢見た仕事に挫折した今、人生は「こんなもんかいな」と納得させることにしました。その理由。
映像制作、ドキュメント演出→自動車鈑金塗装業→有機農業→チャリティー活動
「ホンマ、巧くいかんわ!ほやけど、1日1度、笑わななー!」
動く生活のかつみンです。
今回は、
『目指していた仕事(映像制作関連)に挫折して、次にしたい仕事を求め、
フワフワ、ふらふら浮遊していたが見つからなかった・・・、
結局、私の人生は「こんなもんかいな」と納得させることにしました』
なので、
今、仕事、人生に思い悩んでる人。迷ってる人。気になる人。
自分を奮起させる参考になれば嬉しいです。
✔️本記事の内容
1、父経営の「自動車鈑金塗装業」の引き継ぎも出来ず、廃業へと。
2、心機一転、「有機農業」で自立しようと長崎、雲仙で就農したがまたまた断念。
3、未練たらしく映像制作関連の仕事の復活を思いながら働く、パート、バイトなどはどうなの?
現在、63歳。
映像制作関連業(14年)、自動車鈑金塗装業(13年)、
有機農業(3年)、いろんなパート(8年)。
今は、チャリティー活動(1,5年)で、15〜28万ほど稼いでます。
この私の仕事を、一度、振り返ってみます。
1、自動車鈑金塗装業が廃業になった理由
覚悟仕切れなかった心根
当時、妻と娘2人(3才、5才)、映像制作業では生活費が捻出できず、断念し、
情に流され父の経営する自動車鈑金塗装業の世界に入る。
結論を言う。
甘かった。往生際の悪い自分。現実感が欠落している自分。覚悟がない自分。自分勝手な自分。不平不満を零す自分。暖かい目がない自分。人を尊重しない自分。ウジウジ悩む自分。統率力のない自分。反抗的な自分。
1995年の夏から2008年の暮れまでの13年少し、悪い面の殆どを認識し、噴出する。
父、社長に対して、職人さんに対して、お客さんに対して、妻や子どもに対して、
すべてが逆周り。
なんとか踏ん張っていた47才。
シンナーが溢れているガレージで車のボディーにペイントを吹き付けていた。
皆んなは帰って、夜23時24時になる時も多々あった。
会社を継ぐ、お金のやりくりも見えている。
塗装担当だった私はやるしかなかった。
納期に間に合わないからだ。仕方ない、責任は私だ。
もちろん、何かの時は父がフォローしてくれるのはやぶさかではないが、嫌だ。
しかし、後に、業界全体、下降気味で仕事も減っていく。
お得意様のM社はタイヤを飛ばして人身事故、度重なるリコール問題で激変。
T社S社H社なども低迷。
当然、今後どうしよう?となり、私と父の意見が対立。
「縮小、スタッフ減、外注増、少数精鋭で小回りの効く態勢、何でもかんでもやらない!」という私。
全く、反対の考え方の父。
父は会社を起こして、今までここまでにした実績があり、その考え方、基本姿勢は初めから変える意志なし、現状続行。「こんな状態だから縮小するな!」と。
「お金、どう廻すんだよ!給料は?借金して、取り戻す宛てはあるの?」
私は、まったく判らなかった。
私は集客のために、自分で、パソコン叩き、チラシ作り、新聞に入れたり、自らポスティングしたり、中古車、ディーラー、保険屋に足で御用聞きして回った。
車の塗装はドコエやらだ。(当時はwindows95 出たばかりでSMSなんて無かった)
「なんでこんなことしてんねん。映画を退き、営業下手な私は、せめて職人なろうと塗装屋を目指してたのに!ったく・・・なんやねんこの状態は!」
すでに、父の給料は5万円。私は月、5万円の3回分割で月、15万の時だ。
この状態は私の家庭も脅かし、妻とは接点、会話無し。
せめてもの救いは、大きくなった中学、小学高学年の2人の娘の存在だった。
ゆったりと落ち着いた時間はどこにもなく、
再び、会社をどうするかで、父と大喧嘩をし、
「勝手にしたら、潰れたらええやん!」と飛び出した。
仕事終わったら、帰りファーストフードで皿洗いして、
土日も働いたらと迫る妻にも耐えきれず、
穏便に進めていた長崎、雲仙の有機農業の働き口を求めに、
悲しませた2人の娘と離れ、軽自動車に荷物を全て積んで、
早朝、高速道路に向かい、
大阪から長崎までのとてつもなく長い道のりを突っ走った。
その後、残っていた父の体力、気力、そして、さらに、仕事も減り、廃業に至った。
巷では、同業者の首吊りのニュースが報じられていた。
2、有機農業を諦めた理由
先読みを避けた甘〜い行動
農業のイロハ、ハウス作り、畝作りに欠かせない管理機や苗植機、肥料撒機、さらにはトラクターも扱えるようになったことはいい経験だった。
ただ、やはり収入がない。8万ほどだ。
野菜やお米は頂けるが、もう少し現金が欲しかった。
(家は2万ほどで確保できた)
「面倒見のすごーいええ人」に3年間お世話になるが、
2年目からは、KTN長崎テレビで1年契約ディレクター、
小屋を借りての自動車の鈑金塗装、この土地の鈑金塗装屋のヘルパー、
(この時ばかりは職を身に付けていたことに感謝する)
雲仙諏訪の池ビジターセンターのパート等々の掛け持ちで、
農業で不足分の収入をなんとか得て日々、賄っていた。
結論から言うと、
生活費のため、まさしく収入不足のために、1本立ちもせずに、
農業から挫折することになる。
大阪の家族への仕送りが必要でそれが賄えなくなったからである。
それまでに何とか農業のカタチに出来なかった不甲斐ない私の志の無さもあろう。
振り返れば、農業を専業出来ず、
KTN長崎テレビで1年契約ディレクターで得たン十万円のギャラには、
やはり、救いになり魅力的だった。
収入減は覚悟していたが、
この時ばかりは、農業より断然多い、お給金を久し振りに見て、
私の心の中の農業を駆逐して行くことになる。
以降、仕送りのために、農業ではなくバイトの方に比重が多くなる。
半分以上だ。ほんと、本末転倒だ!
これを機に、
「専業農家なんて、何言ってんるんや!半農半Xか・・・」と思いながら、
鍬を握り畑を耕す日が減っていく。
今では、あの時の、
「面倒見のすごーいええ人」が農具も機械も、農地も貸したるから
「やりんさいよ・・・」
と言われたコトバが今でも、時折、思い出す。
「なんなら、あとやってくれんかとよ。ウチん、息子、誰もやらんもんね」
4人の男兄弟を持つ「面倒見のすごーいええ人」は、
冷え冷えした畑を見ながら私に言った。
そして、平成24年、6月、54歳、長崎を後にする。
3、ほとんどしない映像制作関連の仕事を本業と思い、
稼げるパート業を副業と思い込む
世に流される・・・知らんけど
「無職」厳しい言葉だ。
虚しく、悲しく、泣きたく、逃げたくなる。
なので、仕事がなくても本業は映像業だと思うことにしている。
長崎から京都へ。
(大阪の妻とは別居状態)
ここを拠点に動画編集をフリーランサーとして請け負う仕事を得る。
ただ、これだけでは生活費がままならないので、
パート、バイトなども兼業する2本立ての暮らしをはじめる。
動画編集以外には、
流通のピッキングをはじめ、郵便のポスト集配、ホテル設備駐車場管理などから、
京都ならではの、
伝統、伝承に関わる、
そば、菓子等の配達、催事販売、
麺類製造助手、
和菓子製造、補助、
焼香、線香製造、香木割り補助や、
自分が関わることもない職種、
実験用マウスの飼育、
検体の検査事務、
生態系環境調査補助
展示会什器、組立助手などの仕事に携わり、
興味津々で楽しかった。
(京都に住んでいたメリットでもある)
*基本、パート、バイトはベルトコンベヤー方式、歯車の1つ的な働き方、
繰り返し的作業はなるべく外し、一種独特な仕事を探した。
そういう意味では、兼業とはいえ、
稼ぎは大きくなく、人並み少々以下の生活だったけど、
結構、面白く働けたため、
映像制作関連の仕事への執着は薄れていった(のは確かである)。
で、今では、共感しているチャリティー活動を主に行っている。
そのためか、稼ぎにも少々ゆとりが出てきて、
ムクムクと映像の芽が蠢きだしている今日この頃だ。
時間と、今までの体験がゆとりをくれる。
いや、そうじゃなくて、自分が”自分に納得させた”からでしょうか。
今までのこと。
そして今のこと。
これから、私に降りかかることに・・・・。
でも、煩悩か・・・、
63歳、今からチャンスがあったら”も一度”ヤろうかなとゆるりと狙っています!
✔️振り返って
3つの記事から、
✔️やるべき事をせず、夢、叶わなかった。
✔️全てに挫けてしまったからです。
✔️省みると、たくさんの言い訳だらけ。
「志、覚悟がなかった」
「辛抱できなかった」
「努力できなかった」
「持続できなっかた」 から始まり、
うまくいかなかったのは、なぜ?
「向いてなかったの?」
「好きと思ってたのに?」
「強みじゃなかったんだ!」
「環境、他人が悪かったんだ!」
と、甘い自分は見ず、ひたすら、自分を守りはじめ、
楽しい事を見つけようと、
好きになろうと、
生活のためだからと、
自分の時間も割いて、無理して、イヤイヤやってる、自分がいるのに報われないと。
「石の上にも3年」って、ことも言うけど、
その通りしても、しなくても、出来ないものは出来ない。
辛いものは辛い。でも、うまくいくものはうまくいく。
目的、ゴールに向かって、突っ走ろうとするが、アカンもんはアカン!
ドリームを掴めず、うまくいかんヤツもおるんや!
人並みの生活、それから、喰うためだけの生活、
はたまた、生きるだけのための、その日暮らしの人もおるんや!
なので、
「甘ったるい自分も自分や」それも含めて「納得する」ことにした。
中には、
「本当に、情けない、甘い、自分勝手な奴だと・・・・」と怒り心頭な方もいらっしゃるでしょう。
振り返ると、私は弱い人間です。
もし、私みたいに、色々と思い悩んでいる方は、
どこかで”自分に納得させる”しかないのかもしれませんね。
ズーッと妄想に耽り、アレコレ苛まれつづけるのは、辛いコトですもん!
いかがでしたか。
この記事を読んで、自分を振り返り、「あ〜ぁ!?」って思ってる方は、
どうぞ、次のワンステップ!を歩んでみて下さい。
応援してます!!
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というわけで、私を振り返ってみました。
ご参考になれば嬉しいです!
まずは、動くですね!
ありがとうございました!